sunaowamuteki’s blog

与えられたものに目を向けて生きる。思索好きの天邪鬼。

                          

金沢で食べたものとか、他いろいろ

いまハマっている、Haagen-Dazs期間限定「華もち桜あん」を食べつつ、続きを書く。

 

美術館内のカフェレストラン "Fusion21"でランチ。

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このあと、金沢能楽美術館にも行った。金沢城公園の周囲には、私好みのものが集まっていてホント素敵。

ここからウザイかもホテルまでの道すがら、ショウウインドウに1つだけポツンと飾られた茶碗が目に入って「ん?これ、楽家黒楽ちゃうか?」と、めっちゃ気になる。腕組みしてめっちゃ見る。

楽家の茶碗ファンの私。これまで他の楽焼で似て非なるものを見間違えたことが無い。

で、また歩いてたら茶碗の立派なお店が。「なんや、私が無知やってんな。加賀100万石やもんな。高価な茶碗の文化(っていうより茶道が)も根付いてるわな。でも、ぜんぜんワビサビのイメージじゃないんやけど」

ここ金沢には、大樋焼というものがあった。私は知らなかった。

そもそも、私は「楽家の茶碗ファン」であって茶道自体には興味がないのだ

Wikipediaから引用

大樋焼(おおひやき)とは、石川県金沢市にある、350年の歴史と伝統をもつ楽焼の脇窯である。
概要[編集]
江戸時代初期の寛文6年(1666年)、加賀百万石、加賀藩5代藩主・前田綱紀が京都から茶堂として仙叟(裏千家4代千宗室)を招いた際に、楽家4代一入に師事し、最高弟であった陶工・土師長左衛門が同道した。それを契機に、稀有な茶の湯の道具として発展し、綱紀公の強い意向もあり、加賀藩から手厚い保護を受け、現在に至る。

 ということから、金沢では楽家の茶碗をたびたび見かけることがあるのだ

 私の「楽家の茶碗ファン」の事について、いずれ別カテで詳しく書きたい。

 

↓そんなこんなでチェックイン。ツインをひとりじめ

歩き疲れた為、部屋でそのまましばし休む

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外出はせずに、ホテル内レストランで加賀料理のコースをいただく

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ホテルのロビーに置いてある観光案内のパンフレットを見ると「大樋美術館」という茶碗の美術館がホテルの近くにあった。

金沢市ホームページから引用

お茶の歴史は奈良時代にさかのぼります。中国から茶葉がもたらされ、貴族や僧侶の間で薬用として飲まれていました。平安時代以降、日本でもお茶の栽培が始まって武士の間にも浸透し、室町時代には身分の高い人たちの間で、豪華な茶道具を用いた茶会が開かれるようになりました。
戦国時代、茶の湯は武士のたしなみとされていました。静かにお茶をたてることは、乱世を生きぬくための心の慰みであり、権威の象徴として、また客をもてなす場として茶の湯が用いられました。
前田利家もまた、織田信長豊臣秀吉らの影響を受けて茶の湯に関心を持ち始めました。茶道の大成者である千利休や織田有楽に学び、加賀藩に茶道の文化を定着させ、諸大名などを招いて頻繁に茶会を開くようになりました。

江戸時代に入り、利休から派生した茶道は三人の孫に引き継がれ表千家裏千家武者小路千家の三派に別れました。三代藩主利常が、裏千家千宗室・仙叟(せんそうしつ・せんそう)を指南として招いたことで、加賀藩裏千家が普及しました。

 明日、ぜひ行ってみよう。

 

↓続きあります。

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